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甘い極狼性活
杉本サキ
次の会合までに、まとめなければならない資料がある。
松能組の組長第二秘書である一松は、ここのところずっと事務所にこもって仕事にかかりきりだった。
管理店舗の売上チェックに、組員の人事資料整理。新規取引の計画から、法的手続きの始末。秘書といえば聞こえはいいが、地味な雑務処理も多い。組長である父や、若頭である兄をはじめとする幹部たちに報告するのが主な仕事とはいえ、一日中パソコン画面を見ていると眼精疲労でますます目つきは悪くなるばかりだ。
(さすがに、ちぃと疲れてきたのぉ)
かけていた眼鏡をはずして目頭をおさえ、またかけ直す。肩をならしたり首を回したりを数度行ってから、一松は再び画面に向き直った。
朝からろくに食事も摂らず、マウスとキーボードばかりを操作し続けて数時間。窓の外はいつの間にか夕暮れとなっていたが、仕事の方はまだ終わりが見えない。
ヤクザという職業とは思えない仕事ぶりだが、一松は元々真面目な性格ゆえに、一旦引き受けたものにはのめりこんでしまう性質だ。我慢の限界がくれば爆発しかねない危うさもあるが、今のところ適度にガス抜きする機会が与えられているので、特に不満はなかった。
とはいえ、さすがにそろそろ休憩を挟みたい頃合いだ。
(気分転換に外の空気でも)
吸ってくるか、と大きく伸びをすると、ガチャリ、という音とともに突然事務所の扉が開いた。
「一松兄さん!」
そう呼ぶのは、世界に二人しかいない一松の実の弟たちだけ。そして、ノックもせずにドアを開けたにも関わらず、一松がその姿を確認した瞬間に目尻を下げてしまう相手は、世界にたった一人だ。
「なんじゃあ、十四松。どうしたんね」
「兄貴、すいやせん。十四松の兄貴が急に」
事務所の前で見張り番をしていた舎弟が十四松の後ろから口を挟んだが、一松はいいから持ち場に戻れと合図する。
「コイツはいつものことじゃけぇの」
しょうがないやつじゃ、とは言うものの、それで? と十四松に向き直った一松の顔は、さっきまでとは比べものにならない程やわらかい表情だった。クセになっている眉間の皺は、どこにも見当たらない。呆れるような物言いの中にも、どこか優しさを含んでいる。
それどころか、十四松はまるでそこが指定席でもあるかのように、ぽすん、と一松の膝の上に座った。悪戯っぽい笑みを浮かべながら差し入れ、とコンビニ袋に入ったおにぎりとペットボトルのお茶を見せると、一松の方も特に驚いた様子もなく十四松を膝に乗せたまま、それを受け取る。
極道の家に生まれた、悪童の六つ子。
幼い頃にそう呼ばれていたという噂の松能組幹部の兄弟で、一際仲の良い二人だ。初めてその様子を見た舎弟たちは驚いたものだが、慣れというのは恐ろしいもので、当たり前のように繰り広げられる光景に、この二人はこれが普通なのだと認識するようになった。
休日に二人で出かけるだけならともかく、いちごのパフェを相手に食べさせるような、極道らしからぬ振る舞いさえする。時折、下の者に示しがつかんと注意を受けているようだが、舎弟達にとっては今更だ。組長秘書は若中を特別可愛がっているし、目をかけて甘やかしている。それが松能組全体の共通認識だった。
ちなみに、組長第一秘書であるチョロ松はこの二人の奇行による主たる被害者であり、もう一人の若中であるトド松は、舎弟以上に見慣れた光景だとすでに諦めている。若頭であるおそ松と、補佐のカラ松にいたっては、可愛い弟たちのじゃれ合いだと微笑ましく見ていることが多かった。
「あ、ノックすんの忘れたわ!」
あはは~、と頭を掻いた十四松は、舎弟が出て行ったのを確認してから、一松に説明する。実は、と内緒話をするように声をひそめて。
「おそ松兄さんに言われて来たんよ」
「おそ松兄さん?」
どういうことだ、と一松は繰り返したが、十四松はあっさりと一松兄さんの見張りに行けって!」と続けた。
「見張り? じゃったらドアの前におるじゃろ」
「護衛じゃのうて、仕事の見張りだって」
よくわかんないけど、と言いながらも十四松はおそ松の言葉をそのまま伝える。
「このヤマが終わったら、一松兄さんが前から欲しがっとったモンを褒美にやるって言っちょったで」
「え」
「じゃけぇぼくに、一松兄さんの仕事が片づくまで見張ってこいって。ほんで、たまには馬にニンジンやらにゃあ言うて、カラ松兄さんと出かけたで」
こんな時間から競馬かのう? と、首をかしげる十四松の言葉に、一松の身体は信じられない気持ちで震えていた。
「それ、十四松。ほんまに、ほんまにそう言っちょったんか? おれが前から欲しがっとったモンをくれるって、おそ松兄さん……いや、若頭が?」
「うん。一松兄さん、おそ松兄さんに何をねだったん? いいなー、ぼくもご褒美欲しい!」
だから頑張って見張る! と、息巻く十四松に、一松はすぐさま十四松を膝から下ろし、パソコンに向き直って作業を再開させた。もちろん、貰えるという褒美のためだ。長いこと要望を出し続けて、色んな事を我慢して、それでも願い続けてきたもの。
それがすぐ手の届くところまで来ていると知っては、とても冷静でいられない。一松としては、少なくともあと数年は先のことと思っていたのだ。
(マジか、マジか……!)
高校を卒業して、兄弟揃ってすぐにこの世界に入った。そのとき一松が誓ったのは、この弟を一生守っていくということだ。たとえどれだけ自分の手を汚しても。
(何をねだったか? って、そんなモン、)
決まっている。ひとつしかないのだ。今までずっと、一番近くで大切に育ててきたもの。
松能組の五男、若中の松能十四松だ。
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